そうですか!「大河津(おおこうづ)分水(路)」、こんな大事業を100年前に行ったのですね。昔の人は「偉かった」ですね。
と言うか、明治の頃の「日本」に生きてみたかったですね。
追いつき!追い越せ!の時代だったのでしょうね!?
(因みに、現在は、『追いついた!?そうですか、では、お先にどうぞ!!』ですかね、情けない!!)
何それ!?と言われる方に簡単に説明すると、長野県・新潟県を縦断して日本海に流れる「信濃川」は、昔から「暴れ川」の異名を持つ大河でした。
毎年のように洪水に見舞われる新潟平野(越後平野)を、その水害から救うために計画された分水路工事が「大河津分水路工事」なのです。
と、詳しい事柄は引用した毎日新聞の記事に譲るとして、記事に添付された写真に爺様の生家付近が写っているのです。(ただそれだけです。)
添付された写真の説明を致しますと(拡大してみてください)、写真下から幅広の川らしきものが中央まで伸びて、一方はそのまま左上方へ、一方、中央から右へ分水路みたいなのが流れていますが、普通に考えると左上方に流れるのが本流で、右側へ分岐するのが分水路と思ってしまいます。
でも、それ、逆なんです。
左上方へ流れるのが「大河津分水路」、右側へ流れる支流みたいなのが「信濃川本流」なんです。(分水路のほうが断然広いですよね!)
蛇足ながら付け加えますと、信濃川の分水路はもう一つあって、信濃川が新潟市内中心部を流れ、日本海に流れ出る直前に「関屋(せきや)分水路」という分水路があります。
この「関屋分水路」の近くに爺様の兄夫婦と姉夫婦が住んでおります。(どうでもよかったね!?)
「大河津分水路」に戻って、添付された写真を大きく拡大してみると、日本海と新潟平野(越後平野)の間に低山が大きく分けて3つ確認できると思います。
一番手前の(分水点に一番近い)山は「国上山(くがみやま)」、中央は「弥彦山(やひこやま)」、一番遠く(奥)は「角田山(かくだやま)」と呼ばれます。
そろそろ結論へ・・・。
その一番遠く(奥)の「角田山(かくだやま)」から右側に少し離れた田んぼの真ん中に、爺様の「生家」があります。
国上山の麓には、「良寛和尚」のお住まいだった「タケノコのお宿」があります。
角田山は、取り立てて何もありませんが、新潟市街から近く標高も500メートル弱で登山道も整備されハイキングコースとして近年人気です。
蛇足ですが、角田山の海岸線は、東北電力が、寒村を一つ買い占め、原発(仮称:巻原子力発電所)を建設予定でしたが、建設反対運動に勝てず建設は断念されたようです。
何かと話題の絶えない東京電力の柏崎刈羽原発は、この海岸線の北陸地方への延長上にあります(富山県寄りです)。
三山の海岸線を走る道路は風光明媚です。一部は、「越後七浦シーサイドライン」と呼ばれた有料道路でした。今は無料。
弥彦山にも「弥彦スカイライン」という有料登山道路がありましたが、現在は無料で登れます。但し、急坂・急カーブ多し!!!、冬季通行止めになります。
麓には「弥彦神社」があります。また、直近には「競輪場」もありますし、競輪学校もありました(今もあると思います)。その道に詳し人はご存じでしょう!!!
毎日の時事批評記事よりは、こんな記事が良いかもしれませんね。
少しだけ「お出かけ」した気分になれますよね。
爺様の場合は、里帰りした気分になれます。
(Google Mapで見れば、生家の門前まで行けますが・・・。味気ないですよね。)
今日も写真はありません。
「さりげなく・・・- tomy2291.hatenablog.jp」をお読みいただき有難うございました。
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今日も明日もゆっくりのんびりいきましょう。