今日は朝から「雨」は降らないものの「曇り」のはっきりしないお天気だ。昨夜は「涼し」かった。
クーデターは失敗に終わったようですが、大きな被害が出たようで、被害にあわれた方々にはお悔やみとお見舞いを申し上げます。
それにしても、このところ彼方此方でいろんな出来事が起きて、段々と「不安定な世の中」へ向かっているように思える。
今日は久しぶりに「愛読書」からの引用だ。「世界8月号」P.239からこんな題の投稿がある。
『事故30年チェルノブイリからの問い 第4回 事故を知らない子どもたち‐‐‐‐‐放射線防護をどう伝えるか』 : 尾松 亮
9ページにわたる記述だが、最後の数行のみ記述する。私なりに考えて、この数行に全てが語られているように考えるから・・・。
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「少しばかり、この場所を今よりもましにできれば」
経済発展の兆しは見えず、人口も緩やかに減っていく。町の発展という形での「復興」はないのかもしれない。
事故から30年後、放射線防護の授業を続ける町。
リスクを語っても分断されないコミュニティ。
そこは、いま私たちが生きる場所よりずっと穏やかで、ずっと優しい場所であるように見えた。
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チェルノブイリ原発から北東に200㎞ほど離れた「ノボズィプコフ市」での事だ。ここには日本で当たり前のように使っているいくつかの言葉を聞くことがなかったとも書いている。
『風評被害』
『復興』・・・
例えば『復興』。
同じような言葉はあるが、
『日本語でいう「復興」とは少し違う。生じた被害への対策であり、「原状回復」とか「興す」といった意味ではない。
地域社会は「復興」のために急いでいないように見える。町には「〇〇年までに〇〇を達成しなければ」という数値目標もない。「回復」とは言っても、それが何十年、場合によっては100年以上かかることを、知っているのだ。』
とも書いている。
翻って、日本政府のような、「帰還可能区域に指定さえすれば、人々は戻っていくだろう。加えて、避難者に対する支払い額も減らすことができる・・・、だから一刻も早く除染作業を進めるのだ・・・」などという思考回路は無いようだ。
詳しくは書籍を読んでいただければと思う。
サッカーJ1のこと。
我が「アルビレックス新潟」は、今夜の試合も負け。2nd.ステージに入ってから勝ちがない。その原因はいろいろとあるのだろうが、一つ言えることは、選手同士の連携プレーがもう一つうまく機能していない・・・と試合を見ていて感じる。
特に今年は酷い。
ただ、選手たちだけが悪いとは言えない。
どちらかというと監督の選手起用方法にその原因の多くがあるように感じる。
試合ごとに先発メンバーがコロコロ変わる。前の試合でミスをすると次の試合には出さない。
前監督は、ミスを認めさせたうえで次の試合で取り戻させる・・・というような采配が時にあった。 そういう部分の監督と選手の信頼が今一つのように感じる。
いずれにしても、J2が見える位置にいてはサポとして応援に身が入らない。兎に角、勝たなくてもよいので、「引き分け」で勝ち点を積み重ねてもらいたい。
明日もゆっくりのんびりいきましょう。