この場に及んで「見苦しい」ですね、官房長官。

【 今日の記事 】

 

1.「とても気になる、どう考えますか?」

  

  「スガ」は、自身が苦し紛れに言い放った「怪文書」発言を撤回もせず、陳謝もせず。官房長官には、それなりの人格が求められると思う。この人は失格だ。

www.jiji.com

 

 この方、まだ、お若いせいもあって、「差しさわりの無いものの言い方」ができないのでしょう。でも、副大臣になる方には、それは、必須テクニックです。「一般論」と断っても、「処分ありき」のような言い方は、必ず、さらに突っ込まれることになります。

 それに、自分の言葉で語らず、官僚の書いた想定問答集を棒読みしています。「わかっていないな・・・」と質問者にわからせるようなものです。

www.msn.com

 

 

 2.「言いたいこと(1.と関連あり)」

 

 雑誌から、少し長いですが転記してみました。このところの「騒動」に関連します。少し長いので、お時間のあるときにどうぞ! 大急ぎで転記しましたので、誤字脱字はあるかと思います。

 

 雑誌 世界7月号 P.61~

 「メディア批評」 神保太郎

 

 (1)「一強多弱」が、安倍政治の最大の弱点 

 

 森友疑惑、共謀罪(テロ等準備罪)の審議、首相の9条改憲発言、はたまた加計学園問題など、「一強多弱」の安倍政治の暴走が止まらない。この政権を形容するには、幼稚(childish)」「軽薄(thoughtless)」「傲慢(self-centered)」でこと足りる。だが、焦点ぼかしに手を貸すのは、ほかならぬメディアでもあるのだ。事実の発掘より、「忖度」などという「空気」用語を安易に流布させて、思考停止をもたらす。その先に口を開けている「嘘の体系(system of lie)⇒「戦争」を考えれば、政権の決算書を一日も早く書き始めなければなるまい。 

 

「大臣はつらいよ」 

 TBS『サンデーモーニング』の「風をよむ」のコーナーは、「メディア批評」になっている。5月14日の副題は「最近の国会答弁」。稲田朋美防衛大臣金田勝年法務大臣、そして安倍晋三首相などの国会軽視を酷評した。筆者は、関連する国会中継の映像を熟視聴し、政権の患部を剔出してみた。

 稲田防衛大臣は、森友問題、PKOの日報問題での失態を引きずったまま3月17日の衆議院予算委員会に臨んだ。民進党後藤祐一議員がいきなり「重要影響事態とはどんな事態ですか?」と切り込んだ。虚をつかれた大臣は官僚席を振り返るが助け舟が間に合わない。おぼつかない足取りで答弁台に立ち、「我が国のオー、安全にとって、重要なアー、影響がアー、起きるウー、可能性のある事態でございます」としどろもどろ。稲田氏は自席に戻るとき「うーん、もう!」と官僚たちをなじるような目をした。カメラはその「幼稚」で「傲慢」な表情を見逃さなかった。

 後藤議員は「違います!」と一喝、「重要影響事態法第1条」が想定するのは、朝鮮半島有事や中国艦艇の尖閣接近などに対して、武力行使是非の判定を下さねばならない事態であり、防衛大臣の無知は、文民統制の無能に通じると断じた。

 もう一人、「共謀罪」審議中の金田法務大臣の答弁は聞くに堪えなかった。一般人による組織犯罪の準備を見分ける基準として、「ビール・弁当持参は花見、地図・双眼鏡携行は(犯罪の)下見」と説明するにいたっては、「幼稚」を通り越し「軽薄」の域に達していたが、もっと怖いのは、彼がこれを答弁技術と心得ているかもしれないということだ。

 そもそも、組織犯罪集団と一般人に境界を設けることができるのか。治安維持法がなくなった戦後でも、体制に異を唱える者たちへの尾行、張り込み、盗聴は茶飯事であり、背後からいきなり「そこらで一杯いかが?」と声を掛けられるなど珍しくなかった。

 メディアは、今度の法案が、ネット時代に相応しい、とことんプァーな監視社会を完成させることを見抜き、沖縄の辺野古・高江で進行中の共謀罪まがいの捜査、予防拘禁などの実態を愚直に暴く勇気を持つべきだ。

 

 「何でも閣議決定

 次は本丸の安倍首相。今年の憲法記念日、首相はもはや身内と言える「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(日本会議系)に向けたメッセージなどで、「9条第1項、2項をそのままに、自衛隊を条文に明記し、2020年の五輪開催と同時に施行したい」旨を訴えた。これはこ12年の「自民党憲法改正草案」と明らかに食い違う。「草案」は、9条2項の「戦力の不保持、交戦権の否認」の部分を削除し、「前項(1項)の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」とした上で、新たに「9条の2」に国防軍を明記するというものだった。しかし安倍首相は、一昨年強行採決した安全保障関連法案を根拠に、自衛隊をあえて「国防軍」とは呼ばずに、実質9条の「骨抜き」に手を着け始めたのだ。

 安倍氏は、この変更を「改憲草案9条」にかかわった石破茂氏を差し置いてぶち上げた。同氏は、「あの憲法改正草案なし、ということが総裁の発言一つで決まるのだったら、(改憲は)もう誰もやらなくなりますよ」と不快感を露わにした。衆議院予算委員会で、野党が首相の改憲提案は立憲主義に反すると批判すると、安倍首相は、「傲慢」にも、「あれはあくまでも自民党総裁としての見解で読売新聞に相当詳しく書いてあるから、ぜひ熟読してほしい」ととぼけた(読売記事は「安倍首相」と記載)。

 この後、首相と党総裁の職務は「同一人物でも立場によって区分される」とする閣議決定がなされた。ちなみに、昭恵夫人は「私人である」としたのも閣議決定だ。「風をよむ」は、毎日新聞(5月9日)の統計によれば、第2次安倍政権になって、国会議員質問主意書に対する政府答弁に、「(質問の)意味するところが必ずしも明らかではない」という文言を閣議決定で挿入する割合が急増している、と紹介した。安倍政治は随所に「閣議決定」のコーティングが施されている。

 

 「ファンタジーと陰謀のあいだ」

 さて、安倍首相の笑劇的な改憲論に対し、憲法学者木村草太氏が以下の要旨でコメントした。「9条に自衛隊を明記するとして、仮に個別的自衛権までというラインで国民投票にかけたとすると、これが可決されれば15年の安保法制が違憲になってしまう。一方、集団的自衛権こみで国民投票にかけると、これが否決される可能性は高く、大博打になる」。流れによっては政権にとって相当なダメージになる。また、「9条の第1項、2項を残して3項に自衛隊を書き加えるとなると、国民投票をしても国民は何を聞かれているのか意味不明である」(TBSラジオ荻上チキSession22」5月3日)。木村氏は安倍発言を「非常にファンタジー」と切って捨てたのだ。

 だが、安倍首相は自説を空論だとは思っていないらしい。安保法制に基づく軍事オプションを実行してはばからない。南スーダンへのPKO部隊の派遣、北朝鮮の核・ミサイル開発けん制のための日米合同演習など、「アべ―ファースト/ジャパン―セカンド(対米従属外交)」を掲げ、「自民改憲草案」まで脇に寄せ、無試験入学に踏み切ろうとしている。

 この奇怪な成り行きに対し、『サンデーモーニング』のコメンテーター、西崎文子東大大学院教授は、安倍晋三氏が師と仰ぐ極右ブレーン伊藤哲夫氏の存在を指摘した。伊藤氏の”入れ知恵”の詳細は、日本政策研究センターの機関誌『明日への選択』(16年9月号)に詳しい。「一言でいえば、『改憲はまず加憲から』という考え方に他ならないが、ただこれは『3分の2』の重要な一角たる公明党の主張に単に適合させる、といった方向性だけにとどまらないことをまず指摘したい。むしろ護憲派こちら側から揺さぶりをかけ、彼らに昨年のような大々的な『統一戦線』を容易には形成させないための積極戦略でもある、ということなのだ」と切り出す。「(平和、人権、民主主義には)一切触れず、ただ憲法に不足しているところを補うだけの憲法修正=つまり『加憲』なら、反対する理由はないではないか、と逆に問いかけるのだ」と指南。

 最後に、「前文に『国家の存立を、全力をもって確保し』といった言葉を補うこと」を提言し、「憲法第9条に3項を加え、『但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない』といった規定を入れること」と伊藤氏は説く。西崎氏は、こうした。”奸計”を明るみに出すことをメディアに求めたのだ。

 5月23日のTBS『NEWS23』に出演した田原総一朗氏は、昨年9月安倍首相自らが、「安保法制後、アメリカからの改憲要請がめっきり減った」と語ったと伝えた。まさに『明日への選択』刊行の時期と重なる。

 

 「憲法70年関連番組」

 こうした流れに抗して、今年の憲法記念日番組はNHKが健闘した。NHKスペシャル憲法70年。”平和国家”はこうして生まれた』(4月30日)と、Eテレ『暮らしと憲法~外国人の権利は』(5月13日)である。NHKのなかに、永田町に「忖度」しないグループがいるらしい。

 前者は、日本国憲法に「平和主義」と「国際協調」を書き込んだのは「日本人」自身であることを、歴史資料を駆使して実証した。「平和主義」の起点を、敗戦後初めて開かれた国会における昭和天皇の「平和国家建設」の勅語に求め、まず「押しつけ憲法」説を撃退。次いで、憲法制定過程で日本の政治家たちが党派を超えて、9条1項に「国際平和」の文言を入れた経緯をつぶさに描いた。冒頭の傍線部分はGHQ案にはなかった。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。日本側はGHQ案を一歩進めて、国連が掲げる「国際平和」の理念を自らの意志で盛り込んだ。ただし、天皇制を前提とする「国体護持」の枠組みについて、日米のあいだに暗黙の了解があった天皇制は、国際平和を希求する「日本国民」の総意に基づき「選ばれた」とされたのである。かくて、第1条の「(象徴)天皇制」と、第9条の「戦争の放棄」が、微妙なバランスの上に抱合した結果、11条の「基本的人権」と「国民」のあいだに溝ができた。

 

 「国民」が排除する「人々」

 TBSの「風をよむ」で、ある女性が「閣議決定とか何だかよくわからないところですべてが決まってしまって、私たち何のための国民なの?という気がしながらニュースを聞いています」と答えた。現在の「国民」が直面する危機への言及であるが、筆者に、日本国憲法が排除してきた「外国人」(foreigner)の存在を想起させた。

 Eテレ『暮らしと憲法~外国人の権利は』は、上記NHKスペシャルをさらに進め、憲法によって保護され、排除されるのは誰かという問いを立て、憲法に書き込まれた「国民」の内実を明らかにしようとした。

 憲法25条「生存権」には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。「すべて国民は」は英語で“All of the People”である。GHQ側は”the People”の直訳の「人民」が適当だと提言したが、日本側は、「人民」には「王(King)」と闘うニュアンスがあり、「日本人」は天皇と敵対したことがなく、「すべて一体の国民」という意識が強いと反駁した。「天皇制民主主義」といわれる所以である。

 実際、25条を実現するはずの「生活保護法」は外国人(在日コリアンなど)を排除している。給付は、地方自治体の「運用」によって例外的に行なわれる。「日本国民」(「日本人民」ではない)という翻訳によって、「基本的人権」が尊重される「人」または「人民」は、1条と9条のあいだに埋没し、皮肉なことに、アジアにおける多大な犠牲者の存在を隠してしまったのである。

 前述の伊藤哲夫案は、こうした憲法成立過程で「戦前的なるもの」を清算せずに立ち上げられた「日本国民」が、「国際法に基づく平和貢献」を使命とすることを、9条3項に書き込むことを進言したのだ。連想するのは、安倍氏が口にする「積極的平和主義「Proactive Contribution to Peace」、すなわち「平和のための積極的な貢献」である。安倍・伊藤コンビは、ヨハン・ガルトゥング氏の「積極的平和(Positive Peace)」を換骨奪胎し、国際貢献の美名のもとに一国的な武力行使を正当化しようとする。西崎教授がメディアに示唆したのは、ここに憲法の「空文化」⇒「嘘の体系」に向かう危険な現場があることを、勇気をもって明らかにせよということだ。

 

 (2) 「加計学園疑惑――『御用新聞』という自己否定」

 

 「唐突なプライバシー暴露」

 「前川前次官 出会い系バー通い」―5月22日の読売社会面にある記事が載った。文部科学省の前川喜平前事務次官が新宿歌舞伎町の「出会い系バー」に頻繁に出入りしていた、という。「関係者によると、同店では男性客が数千円の料金を払って入店。気に大った女性がいれば、店員を通じて声をかけ、同席する」とある。いわゆる風俗店だ。「教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ」と書かれている。

 バブル真っ盛り、「ノーパンしゃぶしゃぶ」が売りの店への官僚の出入りが話題になった。あの時は、銀行からの接待だったことが問題にされ、接待汚職の実態に批判が集まった。仕事を離れた夜の行動はプライバシーに属する事柄でもある。「勤務外だろうと文科省のトップとしていかがなものか」との意見には頷けても、天下の公器を自認する大新聞が、見出しを立てて世間に知らせることなのか。前川氏を取り立てて紙面で指弾するのには、何かの意図があるのだろうか。

 前川氏は、文科省を舞台にした天下り斡旋の責任を取り、今年1月に次官を辞任した。再就職を希望する官僚の個人記録が、人事課OBを通じて大学に渡っていた。前川氏は次官として事情を知る立場にあった。読売の記事は、天下り事件の責任者は風俗店に出入りするような人物、と言いたいのか。それにしても大仰な記事である。

 

 「『加計』問題関係者の口封じか」

 この記事を解き明かすには、文科省を巡るもう一つの事件に触れないわけにはいかない。安倍首相の「腹心の友」が国家戦略特区に申請した獣医学部を巡る、「加計学園疑惑」である。内閣府は、獣医学部新設に慎重な文科省農水省を押し切って、2018年の開校を決めた。ところが、背後に首相の存在をうかがわせる行政文書が見つかった。作成者は文科省の担当者。「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」との発言が、文書に記録されている。最初に報じたのは朝日だ。

 官邸はこの文書を怪文書とみなし、菅官房長官は「そのような事実はない。首相からの指示は一切ない」と否定。松野文科相は22日、「担当者から事情を聞いたが(文書の存在を示す)事実は確認できなかった」と述べた。

 そして、文書を無いことにしようとする官邸が懸念していたのが、前川氏の存在だった。「前川さんは事務方のトップとして加計学園獣医学部を認可したいきさつを知っている。官邸は黙らせようと工作したが、本人は真実を明らかにするつもりだ。そんな時に読売の記事が出た。こんな男の話などいい加減だという印象操作のために誰かがリークしたのだろう」。前川氏を知る人はそう指摘した。

 前川氏のインタビュー記事が、5月25日発売の週刊文春と朝日に載った。問題の文書について、「昨年秋に担当の専門教育課から説明を受けた際、示された」と存在を証言、「あるものが、ないとされてはならないと思った」と語った。

 同じ日に発行された週刊新潮には、「安倍官邸が暴露した『文書リーク官僚』の風俗通い」という記事。読売と同様、記者が歌舞伎町の店で常連らしき女性に前川氏の写真を見せ、来店していたかを確認、「文書をリークしたのは前川氏」と指摘する、朝日やNHK「関係者」のコメントを並べた。

 興味深いのは記事にある次の記述である。「安倍官邸は警察当局などに前川前次官の醜聞情報を集めさせ、友好的なメディアを使って取材させ、彼に報復するとともに口封じに動いたという。事実、前川前次官を貶めようと、取材を進めるメディアがあった」。自らの記事を棚に上げて、「あなたが来る2日前から、読売新聞の2人組がここに来ていた」と常連らしき女性の証言を載せた。「あなたと同じ写真を見せながら(……)何人もの女の子を食事に連れ出し、色々と話を聞き出そうとしていたよ」などと書かれている。事実なら、取材に走らされた読売の記者はどんな思いで記事を書いたのか。

 官邸から情報を得たのか、それとも上司から指示されたのかはわからない。記者なら、前川氏の醜聞を取材する自分の役回りは理解していたろう。記者が最初に教わるのは、「この事実は記事にして世の中に伝えるべきことか」と自問自答することだ。会社という枠にはまると、そんな仕事も断ることができないのか。それとも嬉々として聞きまわったのか。

 

 「背後にはびこる監視社会」

 「昨秋、首相官邸幹部に呼ばれ『こういう所に出入りしているらしいじゃないか』と注意を受けた。なぜ読売に報じられたかわからない」。前川氏は朝日で「出会い系バー」への出入りを認め、そう語った。「注意」したのは杉田和博宣房副長官だという。警察庁警備局長として公安警察を仕切った官僚だ。昨年秋といえば、加計学園の認可に文科省が抵抗していたころ。その中心にいた次官が官邸に呼ばれ、醜聞になりうる情報を突き付けられた。副長官はなぜ文科省次官のプライベートな行動を知っていたのか。

 『スノーデン、監視社会の恐怖を語る』(小笠原みどり)に次の一節がある。「2002年2月、警視庁は新宿歌舞伎町に監視カメラ50台を設置した。私は警視庁記者クラブを通じて新宿署のモニタールーム取材を申し込んだが、断られた。理由に驚いた。『通行人のプライバシーを侵害する恐れがあるから』。(……)モニタールームでなにが観察され、なにが記録されているかは、だれも検証することができない」。小笠原さんは、歌舞伎町のカメラの設置場所を確認し、地図を作ったという。「カメラは風俗店の入り口だけでなく、ほとんど外灯もないラブホテルの入り口をも見下ろしていた」。

 警視庁が監視カメラの導入を本格化させたこのころ、いまではおなじみになった「顔認証システム」が開発された。監視カメラの記録から顔を探せる。調べたい大物の顔認証をインプットすれば、膨大なデータから顔を拾い、夜の行動さえ警察が把握できる社会になった。監視カメラは犯罪を見張っているだけではない。監視の目に晒されるのは一般の人たちだ。日常を監視する夥しいデータの中から、特定人物の行動を探る。知られたくないこともふくめ私的行動を警察が握り、何かの時に「警告」として使うこともできる。見えない目が事務次官に注がれていたのだろうか。

 

 「警察に握られるメディア」

 人々を監視する警察をチェックできるのは誰だろう。その一端を担うのはメディアの役割ではないか。現実はどうか。記者は「サツ回り」から修業を始めるのが一般的だ。事件取材は記者の振り出しでもある。警察官と個人的な関係を築き、懐に飛び込んで警察情報を得る。警察は情報の宝庫であり、親密な取引先でもある。なぜなら、身内で不祥事が起きたとき、公にしないようお願いする相手でもあるからだ。社が主催するマラソン大会などのイベントでもお世話になる。取材を超えた太いパイプで、新聞社は警察と繋がっている。緊張関係を保って警察と接する記者もいるが、社内では傍流だ。主流である警視庁キャップや警察庁担当は、警察と良好な関係を築けることが条件だ。思想背景に至るまで、警察は記者の個人情報を握っている。

 監視社会を反映し、安倍官邸も警察の力を取り込んだ。菅官房長官の下にいる3人の副長官のうち、霞が関の官僚組織を束ねる「事務方の副長官」が、杉田和博氏だ。さらにもう1人、お気に入りの警察官僚がいる。警備局外事情報部長などを務めた北村滋内閣情報官だ。第1次安倍内閣で秘書官を務め、「首相動静」に毎日のように登場する側近である。杉田・北村両氏の官邸入りは第2次安倍政権が発足した時から。睨みは官僚に対してだけでなく、政治家の「身体検査」も情報官の仕事である。北村氏は「官邸のアイヒマン」と呼ばれるほど公安情報に通じ、「安倍一強体制」を裏で支える。

 前川氏の醜聞情報は、読売や新潮だけでなく他の「友好的メディア」にもばらまかれた。公安情報の利用と情報操作が安倍政権の特質だが、メディアは官邸に記者を常駐させながら、こうした構造をなぜか書かない。

 分断されているからだ。政権が窮地に立つと、庇い手を出す記者が必ずいる。今回も、不都合な事実を隠すために「人格攻撃」を仕掛ける権力者へとメディアが協力した。これは、ジャーナリズムにとって自殺行為ではないか。

 

 朝日川柳の皮肉

 加計学園の報道で明らかになったのは、「なにが事実か」より「どちらに付くと得か」の判断で動くメディアがある、ということだ。「真実」より「都合のいいこと」に関心がある。「偽ニュース」「オルタナティブ・ファクト」と底流で連なる行動だ。予算や権限を握り、プライバシーにまで踏み込める強者が「カラスは白い」と言えば、「そうです。カラスは白い」と応じる。その方が生きてゆくには楽だ。忖度はびこる官僚の世界はすでにそうなっている。

 前川氏によると、獣医学部は閣議で定めた新設の条件を満たしておらず、規制を緩和する根拠はなかったという。「赤信号であるのに青信号にして走り、行政を歪めた」「存在する書類を無いと言うしかない文科省の職員は気の毒だ」とも言った。日本は、官邸や内閣官房が暴走しても逆らえない政府になってしまった。そしてメディアまでおとなしくなった。

 「インタビュー 妻も頼むか、読売に」-朝日川柳(5月16日)に載った一句である。権力御用達となった新聞への痛烈な一刺しだ。改憲を読売記事で滔々と語りながら、国会では説明を拒否する安倍首相。自民党総裁としての発言で、詳しく知りたければ読売を熟読しろ、とまで言った。首相と総裁の立場を使い分ける。公務員の秘書を引き連れ森友学園の小学校建設に関わりながら、「私人」を理由に説明を拒否する昭恵夫人。夫婦に共通するのは、公の場での説明責任を逃れようとする姿勢だ。

 首相は読売新聞を「拡声器」に使ったのか。自民党総裁として憲法改正を訴えたいのなら、メディアを集めて記者会見するのが筋だろう。質問は受けたくない、言いたいことだけを言う。発信はツイッターで、というトランプ大統領と同類である。問いただされることに耐えられないのか。そのような大統領に、米国のメディアは足並みそろえて闘っている。メディアだけではない。連邦捜査局(FBI)は、大統領の側近だろうと疑わしい事実があれば、遠慮なく捜査する。その報復か、FBI長官の首も飛んだ。アメリカでは、メディアも司法も「独立性」を堅持しようと体を張っている。

 日本はどうか。「忖度」「自粛」から「追従」「お先棒担ぎ」へと進むメディアが登場した。国会では、監視社会を一段と強める共謀罪強行採決された。引き返せない「ポイント・オブ・ノーリターン」は、刻一刻と近づいている。

 

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。思いつくところはどんなことでしょうか?

 

 

3.「写真」

 

 今日も写真撮りには行きませんでした。昨日早朝に撮った写真を数枚載せます。

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 カメラ:PENTAX Optio VS20 Compact Digital Camera

 撮影地:横浜市泉区 2017/06/14

 

 

4.「ボランティア活動」

 

 今日もボランティア活動はありませんでした。明日は福祉車両運転のボランティア活動があります。

 

 

5.「終わりに」

 

 あまりに無謀な国会運営に、この国の本当の姿を改めて知らされた感じがあります。どこかの総理大臣のように「先進国の一流国」のような威張った振る舞いが「バカ」に見えてきます。

 やはり、どこかの国の属国で、自主的に何も決められない国なのです。それならば、属国らしく振舞うのが「この国」のためかも知れません。勿論、国会など必要ありません。

 

 明日もゆっくりのんびりいきましょう。