今日(7月21日)から「競技」が始まるのですよね。東京2020五輪が。
結局のところ、誰も(日本オリンピック委員会も、大会組織委員会も、都知事も、総理大臣も、)、「やる」とも「やらない」とも最終的な判断をしませんでしたね。公言しませんでしたね。
でも、今日(7月21日 )が来てしまいました。
形振り構わずやったのは、ただただ、準備という名の既成事実の積み上げだけでした。加えて、外国選手団をも受け入れてしまいました。
故に、もう、「やらない」とは言えません。だからやるのです。
このような、日本人(日本国)特有の、得意の、物事の進め方、私たちは慣れ切っていて反論や異論がほとんど出ません。諸外国だったら、上へ下への大騒ぎになるでしょうね。
こういう物事の進め方、当事者たちにとっては、とても都合のいいことがあります。何でしょう?
後になって、何か都合の悪いことが起きても、「責任」を取らなくてよいのです。「もう少し違うやり方があったんだよね・・・」で済まされるのです。
あと数日に迫った「開会式」の音楽担当者が、過去の言動や仕業で「辞任」に追い込まれましたが、この不祥事の責任を追及された組織委員会の長は、「私が決めたものでは・・・」と逃げ口上を口にしていた。
見苦しいを通り越して、「情けない」。
朝日新聞社の言論サイト「論座」、ご存じの方も多いと思うが、少し前、「東京五輪・令和3年夏の敗戦」と題した書き物が載っていた。
このお題について筆者は、「昭和16年夏の敗戦」と題する書物から引用したとあった。この引用された書物の筆者は、元東京都知事で作家の「猪瀬直樹氏」である。
その著書内容詳細は著書そのものをお読みいただきたいのだが、太平洋戦争に突き進んでいった当時の日本の意思決定のあり方と、今回の東京五輪開催の意思決定のあり方が酷似しているという。
果たして、
昭和16年、時の近衛内閣は、「アメリカと戦争を起こした場合に日本は勝てるか?」というシミュレーションを行わせるため「総力戦研究所」という組織を立ち上げ検討させたという。
組織された人員は、各省庁及び民間から将来それぞれの組織においてトップに立つであろう36名だったという。
で、彼らの結論は、
「12月中旬奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしても避けなければならない」であった。
思い起こしてください、どこかで見聞きした通りの展開ですね。見事な分析でしょう。
しかし、その報告を聞いた東条英機(当時陸相)は、そのシミュレーションを「机上の演習」と切り捨て、日露戦争のように戦争はやってみないとわからないと言い、ファクトや論理を無視した精神論に持ち込んでしまった。その結果、日本を戦争に突入し、昭和20年に敗戦した。
まだ核心に辿り着いていないのですが、以下の「論座」への投稿記事に詳細があります。
上記記事は,、この太平洋戦争に突入していった際の日本の意思決定の仕方と、今回の東京オリパラの意思決定過程が似ていないだろうか・・・という問いかけでもある。
爺様的には、似るも似ないも、まさしく、長く受け継がれている「悪しき日本の慣習」に映る。
お読みになられた皆様の思いはいかがでしょう?
今日(7月21日)から「開幕」です。騒々しい日々が暫く続きます。感染拡大など起きませぬようにお祈り申し上げます。メダルとかは「どうでもいい」です。
尚、猪瀬氏の書物は、先日アマゾンで購入し、現在、解読中です。
撮影地:横浜市泉区(2021/07/20) by PENTAX-K3Ⅱ with TAMRON AF 70-300mm 1:4-5.6 TELE-MACRO(1:2) LD Di
最後の最後になりましたが、以下もお読み下さい。とても参考になります。
「さりげなく・・・- tomy2291.hatenablog.jp」をお読みいただき有難うございました。
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今日も明日もゆっくりのんびりいきましょう。