ようやく「梅雨」に入りました。
昨日少し書きましたが・・・。
爺様の愛読書に「世界」(岩波書店発行)という月刊誌があります。7月号がすでに届いているのですが、まだ読み始めたばかりです。
真っ先に読む「メディア批評」と題する「連載もの」があります。
少しだけ引用させていただきます。
「メディア批評」というくらいですから、「メディア」に対する批判などが書かれています。
「東京オリパラ」のメディア報道について書かれています。
ほんの少しだけですが・・・。
『見えてきた「五輪のはらわた」』
・・・・・「商業主義や肥大化といった五輪の課題はこれまでも薄いカーテンの向こうに見えていたが、『世界的なお祭りだから』と許容してきた。今回は自国開催にコロナ禍が重なってカーテンの向こう側にあった汚いところも見ざるを得なくなった」
柔道家で日本オリンピック委員会(JOC)理事でもある山口香氏は東京新聞のインタビューで指摘した。「スポーツを通じて世界がつながる平和の祭典」というきらびやかな面ばかりが強調されてきたが、コロナによって見たくない「五輪のはらわた」が可視化された。
フランスの検察当局は二〇一九年一月、日本の招致委員会がIOC委員でもある国際陸連前会長の息子に二億円超の賄賂を渡したとして、竹田恆和JOC会長(当時)への捜査開始を発表した。竹田氏は辞任したが、日本のメディアは竹田氏の「否定コメント」だけ載せ、疑惑を追及しない。「五輪貴族」と呼ばれるIOC委員、膨れ上がる費用と不透明なカネ、誘致をめぐるスキャンダル。巨大な商業主義イベントである五輪の暗部になぜ迫ろうとしないのか。
『スポンサー契約の罠』
・・・・・スポンサーは協賛金の額によって四段階に格付けされ、それぞれ一業種一社が原則だった。東京大会はこの縛りが外され、メディアは横並びで参加する。仕切ったのは東京五輪の宣伝・広報を担う電通。主催者にとって協賛金以上に価値があるのが協賛報道だ。契約内容は非公開だが、「大会への協力」は盛り込まれているだろう。協賛社なら五輪の暗部を暴くなど論外で、歯切れの悪い社説はその証ではないか。大手新聞は大会スポンサーになることで、監視者の立場から主催者側へと渡った。
過去の五輪で報道機関の協賛例は極めて少なく、元博報堂社員で作家の本間龍氏は、大手紙が揃ってスポンサーになる日本の特異性は際立っている、と指摘する。JOCと契約を結び、商業主義の一翼を担い、開催ムードを盛り上げる電通戦略に乗ってしまった。
だが、厚化粧の「平和の祭典」はコロナによってボロボロと崩れた。人々は不安・不信を感じても主催者や政府は聞く耳を持たない。競泳の池江璃花子選手に「辞退してほしい」などのメッセージがSNSで殺到し問題になった。選手個人を責めるのは筋違いだが、病から復帰した池江選手への期待と励ましを開催機運の高揚に利用しようとしたのは、主催者側でなかったか。・・・・・
折を見てこの続きを書きます。今日はこの辺まで。
先日も書きました。メディアでも書かれています。仲間外れでした。
まるで「借りてきた猫」だった。英コーンウォールで開催されたG7サミットで、国際会議デビューを果たした菅首相。しかし、最後までG7各国の輪の中に入れずじまいだった。
さすがに、欧米のリーダーたちは、「何しに来たのか」と呆れたのではないか。
菅首相はサミット初日の討議を終えた後、自身のツイッターで〈G7としてしっかりと成果を残せるよう、明日も各国首脳の議論をリードします〉と意気込んでいたが、英国政府や米ホワイトハウス、日本の外務省の発表にも、菅首相が主導した形跡はゼロ。爪痕を残すどころか、サミットの様子を収めた写真や動画からは、存在感の薄さがヒシヒシと伝わってくる。
ホストを務めた英国政府の中継動画を見ると、韓国やオーストラリア、南アフリカのゲストを含めた記念撮影の終了後、菅首相は各国首脳の輪に入れず、首脳たちの後ろを一人寂しくトボトボ。初日に行われた英国女王との記念撮影でも、女王とマクロン仏大統領、メルケル独首相が談笑している後ろで、ポツンと突っ立っていた。
何か、可哀そうになってきますね。そろそろ、万国共通語(英語)を話せない人は「首相」になれない・・・という法律作りませんか?
ずいぶん昔から見せられる「情けない構図」にはうんざりします。
愛読の月刊誌から書き写していたら、もう、寝る時間になってしまいました。今日は「写真」無しにします。
「さりげなく・・・- tomy2291.hatenablog.jp」をお読みいただき有難うございました。
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今日も明日もゆっくりのんびりいきましょう。