さりげなく・・・

「何で?そうなの!?違うじゃん!」を綴ります。

「山本一太」さん、見苦しいよ!

 

 暑い一日でした。年末(12月)に開催予定のマラソン大会ボランティアの打ち合わせで、お昼少し前に出かけましたが、暑さでめげそうになりました。打ち合わせは無事終了。今度は、現地(担当するマラソンコース)確認です。9月~10月に実施予定。

 

 年末の事を今から?と思われるかも知れませんが、今年は少し遅めです。例年、もう少し早い時期に終わっていなければいけないのですが・・・。

 

 

さて、「愛読書」からの引用。

世界 2017年 08 月号 [雑誌]

世界 2017年 08 月号 [雑誌]

 

 雑誌「世界8月号」 P.124~

 

 『片山義博の「日本を診る」 安倍一強政権のもとで壊れゆくもの』

  (活字の羅列だけでは読みにくいので、適当に空白行挿入や文字色変更を行いました。)

 

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 先の第193回国会を通じて最も印象に残ったことの一つは、財務省文部科学省それに内閣府などの官庁とそこの官僚に対する信頼が激しく揺らいだことである。

 

 これら府省の官僚たちの国会答弁には乱暴さが目立った。聞いていて、この官僚は一人前の大人だろうか、果たして正気か、質問者を舐めたり茶化したりしているのか、こんな疑念を抱かせるような場面にしばしば出くわした。

 

 大阪の森友学園に対する超安値での国有地払下げが取り上げられた際、答弁する官僚は「適切に処理した」と言い張るだけで、それを裏付ける証拠や資料を一切出そうとはしない。資料は作成していない、あった資料も既に廃棄した旨を繰り返していた。

 

 かつて官僚を経験したことのある筆者から見て、この種の案件ではきちんと資料を整理し、保存しておかないわけがない。「この種の」とは、不動産の売買のように後々まで尾を引くことが多い案件だということだけでなく、政治がらみでもあるということだ。森友学園の経営者夫妻は、この問題が明るみになるまでは総理夫人とことのほか親密な間柄だったのだから、関係官庁にしてみれば政治がらみそのものである。

 

 財務省は「適切に処理した」と言うなら、論より証拠というように、それがわかる資料をさっさと出せばいいのに、それを出さない。敢えてそれを棄てたとまでいうのには、それ相応の事情があるのだろう。出すと自分の役所にとってまずいことになる、あるいは誰かを気遣って出すことが憚られるのかと、誰もが勘繰ることになる。

 

 

■■■ 霞が関から消える説明責任への拘り

 

 

 およそ政治や行政には説明責任が求められる。説明責任とは、自らが決めたことについては、国民や納税者の納得が得られるよう説明できるということである。決めたことに疑義を抱く人がいたとしても、説明することによって、「なるほど」と了解してもらえればそれでよし。たとえ十全な了解は得られないにしても、「たしかに一理ある」というぐらいの理解は得られなければならない。

 

 このたびの国有地超安値払下げに係る財務省の国会答弁を説明責任という視点で見ると、まるでなっていない。なぜこんなに安値で売ったのかという質問に何も答えていない。適切に計算したことを納得してもらうには、その計算根拠となる資料を示さなければならないのに、それをまったく示していないからだ。説明責任の観点からは、答弁は失格である。

 

 不思議でならないのは、こうした失格答弁を、その場に居合わせている首相も直属の上司である財務大臣も他の閣僚たちも誰一人として咎めようとしないことだ。筆者はかつて県知事や大臣を務めたことがあるが、もし県議会や国会でこんな失格答弁をする部下がいたなら、その場でさっさと引き取り、自らが代わって答弁しただろう。それは、当該部下だけにとどまらず、組織全体及び組織のトップの見識と品格まで疑われかねないからだ。

 

 ところが、現在の政権は、説明責任を無視した官僚の失格答弁をそのまま受け入れている。ニヤニヤ笑いながら聞いている閣僚はいても、ムッとしたり、首を傾げたりしてその答弁に不快感や不満を示す閣僚はいない。この光景は国民だけでなく霞が関の各省の官僚たちもじっと見ている。

 

 霞が関の官僚たちの持つ負の資質はよく語られる。権限への拘りや前例踏襲主義などの弊害が見られるとの指摘は、当たらずとも遠からず。ただ、それらと裏腹の関係になるのだが、説明責任への拘りという正の資質があることはあまり指摘されてこなかった。

 

 久しい間、政府が決めることの多くは、国民の代表である政治家ではなく実質的に官僚たちが決めてきた。良し悪しは別にして、これが官僚主導といわれる政治の流儀だった。ただ、官僚たちは単に実質的に決めるだけでなく、決めたことに対する説明責任も一手に引き受けさせられていた。

 

 そこで官僚たちは、後で自分たちが説明できないおそれのあることはできるだけ避けようとし、また新しいことに取り組むにしても何とかぎりぎり説明できる範囲に留めようとする。権限への拘りや前例踏襲主義はそんな官僚たちの心性と密接に関係している。裏を返せば、それだけ説明責任に拘りを持っているということでもある。

 

 ところが、今国会の国有地超安値払下げ問題についての実に無責任で投げやりな答弁が罷り通っているのを見た各省の官僚たちは、「ははん、これでいいんだな」と妙に得心したことだろう。これまでそうは言っても一応筋の通った答弁を心掛けていた各省の官僚たちも、今後は失格答弁で逃げることを敢えて辞さなくなるのではないか。

 

 

■■■ あまりにも軽い「国権の最高機関」

 

 

 その後国会で取り上げられた加計学園問題でも政治家だけでなく内閣府文部科学省の官僚たちから不誠実な答弁が繰り返された。文部科学省に対し獣医学部設置をめぐってあれこれと働きかけをしたと指摘された内閣府の官僚は、「記憶にない」などと誠に不誠実な答弁をしていた。

 

 ひと昔前、政治家ならばともかく、官僚が「記憶にない」などと答弁することは決してなかった。今やさほど高位にあるわけでもない官僚がそんなふざけた答弁をするのを耳にするのは隔世の感がある。

 

 ふざけた答弁といえば、こんな答弁もあった。同省内から出てきたと思われる電子メールでの送信文の真偽が問題になっている時、その送信先として表記されていた名前の人物が省内に実在するのではないかと問われた文部科学省の官僚は、「同姓同名の職員はいます」と、しれっと答えていた。

 

 人を小馬鹿にするのもいい加減にした方がいい。当人は野党議員の質問を少々おちょくったぐらいにしか考えていないのかもしれないが、勘違いも甚だしい。それは、国会とその国会の背後にいる国民を小馬鹿にし、おちょくっていることを意味するからだ。ここでも不思議でならないのは、こんなふざけた答弁を、閣僚たちや与党議員たちが笑ってやりすごしたことだ。

 

 おそらく彼らは、小憎らしい野党の追及を、官僚が小気味よくかわしたというぐらいの受け取り方なのだろうが、これまた甚だしい勘違いである。たとえ野党の議員に対してであれ、官僚が国民の代表である国会議員をおちょくったり、愚弄したりするようなことがあってはならないからだ。その場が笑って済まされたのを見ると、国権の最高機関も随分軽い存在になり下がったものだとの感慨を禁じ得ない。

 

 最後に、このたびの国会の会期末近くに、参議院では共謀罪法案について委員会での審議と採決を飛ばして一気に本会議で議決した。加計学園問題の幕引きを図りたかった、東京都議選を控えて会期の延長が憚られたなど、あれこれ事情の解説をする向きもあるが、筆者が最も気にかかったのは、参議院の自殺行為ではないかということである。

 

 衆参両院制のもとで、参議院良識の府として慎重審議を心掛ける。衆議院とは違った観点から法案をチェックする。とりわけ行政監視機能が大切だ。参議院の機能や存在意義についてはかねてあれこれと説かれてきた。

 

 しかし、今回の一件を見ると、もはや参議院は不要ではないかと思われる。これだけ国民の関心が高く、かつ、多くの国民が不安に思っている法案なのに、参議院は普段誇っているそれらの機能をすべてかなぐり捨てたからである。参議院の存在意義などと言っても誰も信用しないだろう。もし、憲法改正が具体化するなら、いの一番に参議院の廃止が検討されてしかるべきだと本気で思うようになった。

 

 安倍一強政権の下で、霞が関の良い資質や国会の存在感が次々と毀損されていることを案じている。

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 昨日届いた愛読書(月刊誌)「世界8月号」から引用しましたが、昨今の、安倍首相及び内閣府の悪行に倣う閣僚や官僚の仕業にはいつか鉄拳を振るいたいと思う人々が少なくないだろう。

 国民無視の政権運営には、今回の東京都議選での自民党敗北に端を発した「違和感」が、これからも国民の心の中に居続けてほしいと思う。

 安倍首相・内閣・官僚には、この国は、「国民主権」であることを改めて肝に銘じてほしい。

 

 

 しかし、そんな思いを打ち砕くような事態があった。

 

 参議院議員参議院予算委員長を務める「山本一太」氏が、昨日(7月7日)のTBS情報番組「ひるおび」に出演し、自身の「ブログ」に投稿した事柄について、質問に答える形で説明を加えていたが・・・。

 「ブログ」だけを読むと、自民党の中の「アベ批判勢力」と映る書き込みが多いのだが、それに対する司会者やコメンテーターからの質問には、正面から答えられていなかった。まるで、「ブログ」は別なんだよ・・・と言いたげに・・・。

 この番組の「定番政権寄り解説者」の時事通信社の例の方と、懸命に「アベ」を守ることに終始していた。「安倍首相は悪くない、内閣府も悪くない、悪いのは・・・」と。やはり目線は「アベ」に向いている。

 得意の「印象操作」で、懸命に国民をだまそうとしてる「アベ」の「飼い犬」であることには間違いない。

 何の為の番組出演だったのか? 国外に逃避しているご主人様からのご指示でしたかな? 兎に角、見苦しかった。(太字・アンダーラインの語句を数回繰り返していた)

 

 何回も書くが、「アベ」に「反省」などないのだ。この数カ月で何十回も聞いた「しっかりと説明責任を果たす・・・」と全く同じなのだ。

 

 

 

  明日もゆっくりのんびりいきましょう。