さりげなく・・・

「何で?そうなの!?違うじゃん!」を綴ります。

雨の土曜日です。

 

 「雨」の土曜日です。「梅雨らしい」です。気温も然程高くありません。

 

 テレビのニュース報道では「激しく降る」こともあるようだが、今のところ、「普通の雨」だ。

 

 昨夜から、我が愛用のPC(Windows Vista PC)がご機嫌ななめで、半分徹夜で色々やってみたが(例の「Windows Update」が暴走するPC)、肝心要の「HDD」が壊れかけているようだ。 多分、「HDD」のフォーマット後、OSの再インストールで解決するだろう・・・とは思うが(再インストールは、インストールDVDを使う)、今更、「Windows Vista」を再生しても・・・と、このPCは諦めた。長い間ご苦労様でした。画像処理等で重い負荷をかけて申し訳ありませんでした。でも、捨てません。おやじのPCコレクションの一つとして持ち続けます。

 

 

 そういう訳で、比較的新しそうな(型番等から見ると)デスクトップの「Windows 7 PC」をアマゾンで見つけたので購入した。本体のみ、キーボードやマウスはストックから流用する。ディスプレイは先日(少し前だが)購入した20.7インチの液晶をスイッチで切り替えて数台のPCと共用。

 メインメモリは8GB、HDDは500GB。こんだけあれば十分だろう。数日後に届くようだが、直ぐに「Windows 10」へアップグレードせねばならぬ。

 それにしても、年金生活者にとっては痛い出費!

 

 

 

 それはさておき、PCの不具合が発覚するまで読んでいた「愛読書」から少し転記してみる。

世界 2016年 08 月号 [雑誌]

世界 2016年 08 月号 [雑誌]

 

  昨日の記事で張り付けた時には、書籍の画像が出なかったが、今日はチャンと出た。ここら辺も不具合の一部か? (当然ながら、この記事は別のPCで書いているので・・・)

 

 

 少し長いです。

 

 

P.41~

『メディア批評』 神保太郎

 

 (1)参院選後―――メディアは国民をどこに誘うのか

 

 閣僚発言への寛大な対応  日本はどうであろうか。舛添問題以前でマスコミのお粗末さに腹が立ったことを挙げれば、まず一つは、沖縄で元米海兵隊員による現地女性の死体遺棄が五月十九日に発覚、すぐ殺人事件にまで発展した問題をめぐる報道だ。一週間後には、二十六日の伊勢志摩サミット開会と、翌二十七日のサミット閉会・オバマ大統領の広島訪問とが控えていた。とはいえ、「安倍内閣の閣僚の一人は『タイミング的にまずい。大変なことになった』と嘆く」(朝日・五月二十日朝刊二面)は、いかにも醜い。もちろん醜いのは発言した「閣僚」だ。タイミング的にまずくなければ、気軽に見ていられる程度の事件だったのか―――それはないだろうと引っかかった。そう思ったから記者もこの発言をクオートしたはずだ。であれば、「閣僚」の名前を報じ、真意を問いただし、また発言取り消しを求められるのだったら、それに応じてもよいが、沖縄にこのような事件が二度と起きないようにするにはなにをすべきか、公人としての見解の披瀝を求めるべきだろう。朝日だけではない。どの新聞もテレビも、この発言にヘンに寛大だったのだ。

 もう一つは、安倍首相が通常国会閉会後、六月一日の記者会見で、明年四月に予定してきた10%への消費税再引き上げをさらに二年半延期する、突然表明、これに対して約束が違うのではないか、と記者が指摘すると、「これまでのお約束とは異なる新しい判断だ」と、恬として恥じる風もなく答えて見せたこと。さすがに各紙とも、「新しい判断」といえばいくらでも前言が翻せる、いつでも使える便利な言葉だなどと嘲笑したが、これもその程度のあしらいですまされる話ではない。サミットといい、オバマ広島訪問といい、さらにはこの会見で衆参同時選挙見送りも言明したことといい、また今後のアベノミクスのテコ入れ強調といい、すべてが目前の参院選対策と政権の延命策に尽きるものであるのは明白ではないか。これらの問題すべてについて犀利な分析を加え、「新しい判断」の虚構を暴き、「アベ政治」のごまかしを許さない仕事を、メディアは行ってくるべきだ。舛添騒ぎで現を抜かすヒマなどなかったはずなのだ。

 

 「怒り」の欠如  国民の多くは、世の中があらぬ方向に動き出し、身辺に不都合なことが生じだしていると感じている。しかし何が悪いのか、だれの責任かわからないと、怒りのもっていきようがない。そんなとき、日本にミサイルを向ける北朝鮮や、舛添知事の政治資金問題など、わかりやすい悪役がその捌け口となり、憎悪や軽蔑が向けられる。だが、それで一時的な気晴らし、カタルシス的な効果は得られても、社会的格差や失業・貧困などによって社会から脱落し、家庭の崩壊などにも遭遇、友人もなく孤独に立ちつくす人たちの問題は解決しない。その苛立ちや不満がしだいに大きく堆積し、今やその全体が重みに耐えかね、大きな捌け口見つかれば、そこにどっと動きだしそうな状況が生じているように感じられる。最近、安倍自民党が提唱した「緊急事態条項」が、ヒトラーの発案した緊急時の「全権委任法」と同じ発想だ、ファシズムだと、批判を浴びた。権力者の政治的作為を問題とするならば、そのとおりだ。だがファシズムの本当の恐ろしさは、大衆がうち揃ってハーメルンの笛吹き男の後に付いていく状況に陥ることのほうにある。ヒトラーは、第一次世界大戦敗戦・ワイマール末期のドイツで迷子になっていた大衆に、敵はユダヤ人と共産主義者だと指し示し、彼らへの憎悪と軽蔑を煽り、それをテコに国民的統合に成功したのだ。

 安倍首相は、参院選の公約の目玉として、選挙後は「今こそアベノミクスのエンジンを最大限にふかす」と語った。それが成功し、不満と苛立ちに身をやつす人々を満足させられるだろうか。アベノミクスはすでに破綻を露呈させつつあるネオリベラリズム一辺倒の政策だ。サミットでも安倍首相の志向する経済政策は、各国首脳の賛意や共感をえるものとはならなかった。となると、国民みんなの目標としやすい政策が掲げられることになるのか。実際、目標とされそうな事案はたくさんある。東京オリンピックの開催、原発早期再稼働、福島の避難指示区域解除、いわゆる自主避難者の「帰還」推進、沖縄・普天間基地名護市辺野古移転実現、TPP条約締結・批准、新安保法に基づく対米軍事共同行動の強化・拡大など。そして、さらに第一次政権で掲げた「美しい日本」の理念に基づく改憲案の全容を押し出し、日本人なら全員が新しい国づくりに遇進するはずだ―――反対する者は国民の敵だ、とするキャンペーンが展開される恐れがある。

 そこに怒りはない。憎悪と侮蔑を媒介項とする、煽るものの傲慢と従うものの怯懦があるだけだ。メディアはどちらに属するのか。そう思うとき、メディアがあまりにも怒りを示さなくなったことに驚く。怒るものは、不当な境遇を強いらされている弱者に優しいまなざしを注ぎ、不遇をつくりだす強者に立ち向かっていく。そして弱者に怒ることと、それを力に変えるための連携を提示する。伊勢志摩サミット、オバマ広島訪問、沖縄の元米海兵隊員による殺人・死体遺棄事件、舛添騒ぎの報道を通じて感じたのは、メディアにそうした怒りが、あまりにもないことだった。そして、参院選後、この怒りがますます大事になってくるという気がする。

 

 「日本浪漫派」ふたたび? 最後に、もう一つ心配なことを書き留めておきたい。欧米近代の資本主義は本当に行き詰っている。それについて行くだけでは日本の未来もない。だが、欧米で民主主義を刷新し、新たに平等な社会、相互協力で結ばれた平和な国際社会を構築するために払われている努力は、軽視すべきではない。ところが、佐伯啓思京都大名誉教授は、今こそ西洋と異なる思想、「日本の哲学」が必要だ、それによって西欧近代主義の限界を乗り越えよ、と説くのだ。(朝日・六月三日朝刊「異論のススメ」)。また、「国柄」を盛り込んだ自民党改憲草案のように、日本人が憲法を考えるなら「近代立憲主義にとらわれない別の憲法観がある気がしている」、現在は「現状を考えれば、護憲はありえない。憲法を捉え直し、考え直す非常によいチャンスだ」と強調する(同前・六月八日朝刊「憲法を考える」)。まるで保田與重郎の再来ではないか。彼は日中戦争のさなかに『日本浪漫派』を創刊、日本の伝統への回帰を提唱、太平洋戦争中もこの国のいくさを美化してきた。筆者は、佐伯氏の考え方とはまったく反対で、現憲法こそ、戦後日本独自のものであり、戦争放棄を明記した九条は、まさにこれから世界標準になる、と確信するが、こうした思想的対立をどう克服していくかも、今後、メディアの重要な仕事となるだろう。

 

 

 「安倍様のNHK」を筆頭に、誠にだらしないメディアの「奮起」を期待したいが・・・。本当に頑張って欲しいと思う。政府の広報機関に成り下がるのだけは即座に止めてほしい。

 

 

 只、「EU」問題に端を発して世界規模で不安定な経済情勢が続く中、例え2/3を取っても経済対策をおざなりにしての改憲論争は国民の反発を招くだけ・・・との判断もあるようで、難しい政権運営が続くことは間違いないようだ。

 政策変更するにしても、もう、「新しい判断」という文言は使えませんね。

 

 そう言えば、日銀副総裁はいつ辞めるんでしょうか? 確か、就任会見の席で記者からの質問に答えて、「2%が達成できなければ辞める・・・と」明言した筈ですが?

 

 委員さんは何名か「安倍応援団」の方に代わっているようです(最近ですが・・・)。

 

 

 

 今日も明日もゆっくりのんびりいきましょう。