さりげなく・・・

「何で?そうなの!?違うじゃん!」を綴ります。

そうだったのか・・・。

 

 先日帰省した故郷で、兄から意外なことを聞かされた。少し長くなるが・・・。

 

 今時使ってはいけない言葉なのだろうが「貧乏人の子だくさん」という言葉がある。我が兄弟もこれにもれず6男1女の子だくさん。しかし、既に3人が他界し、1人は前後不覚に陥っていて施設暮らし。まともなのは、末っ子の私、姉、4男の3人だけになってしまった。

 

  父は私が高校1年の夏に逝ってしまった。(「胃がん」の手術後約10年間の闘病を経て「肝臓がん」で逝った。)

 この時、私と姉以外は既に独り立ちしていて、独り立ちする際には父からそれなりの資金や資産を分けてもらっていた。

 

 しかし、独り立ちはおろかまだ高校に入学したばかりの私は、父が若くして逝ってしまったことでその後の人生をどう生きるのかわからなくなり、とりあえず、高校卒業までは兄(長男)が継いだ生家に居てその後は東京に出ようか・・・と、更に、既に独り立ちしていた兄達のように資金や資産を分けてもらうことなどありえないと考えた。

 

 高校(電気系の工業高校)卒業と同時に東京に出て神奈川に移り住み人並みに結婚し住処を見つけた頃に生家の兄から私名義の土地を生家近くに購入する・・・という連絡が来た。

 その時すでに故郷へ帰り住むことは諦めて神奈川の地で生きて行こうと決めていたので、その土地購入のことは「有難いけれども要らない・・・」と断った。

  しかし生家の兄はその計画をそのまま実行し私はそれによって何十年間に渡り固定資産税を納めることとなり、その後、第3者に売却することになる。

 

 その土地購入について生家の兄は時ある毎に「父の遺言だから・・・」と言っていたという。実際に「父の遺言」を見たことも読んだこともないのだが、「自分の子供全員が独り立ちするまで生きていられそうもないことは残念だ。独り立ちしていない二人には、他の者に与えた資産や資金と同等のものは与えるように・・・」というものらしかった。

 

 そして今回の帰省で兄(4男)が話してくれたことは、7人兄弟の中で唯一故郷を離れて神奈川住む私のことを自分の子供のように気にかけていたようで、田舎に帰って兄弟みんなで同じ地域に住めるように・・・が口癖だったと。そのための土地購入だったと。

 しかし、そのころ私が勤務していた外資企業は新潟に支店もなければ工場もない。それについてはその頃「(仮称)東北電力巻(まき)原子力発電所」の建設計画が反対運動は起きていたものの進められていて、高校時代の私の成績からすれば東北電力や関連会社への再就職は容易いはず・・・とみていたようで、「原発」が建設されることを心待ちにしていたという。

 しかしそれも叶わぬこととなり、何事もなかったように波が打ち寄せる浜辺だけが残っている。

 

 故郷で良くつかわれる言葉に「旅に出る」とういう言葉がある。

 どこかへ旅行に行ってくる・・・という意味ではない。

 学校を卒業して一旦は故郷から出て行くけれども、いずれ戻ってきて生まれた地で生きて行く・・・という意味。

 生家の兄も私に対してこの言葉通りの人生を望んでいたのだろう・・・と思うが、既に他界していて聞いてみることもできない。

 

 

 

 

 今日は水曜日。養護学校に通う障がい児君の介助ボランティア活動の日だが、体調を崩したようで今日は学校をお休み。

 お大事にね!来週は元気であいましょう!

 

 

 今日は朝からスッキリしないお天気で、気温は高くないが蒸し暑い。こんなお天気の日にはこんな花が似合う。

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 今日も明日もゆっくりのんびりいきましょう。