新聞社の「社説」とは?

 

 今朝の「朝日新聞」朝刊の「社説」。

 今日閉幕する「通常国会」にあたり、諸事項を述べられている。

 「内閣支持率」には、必ずしも反映しているとは言い難いが、私を含めて、国民の大多数が、「安倍政権」の「政権運営」には「疑問」や「違和感」を懐いていることに間違いはないと考える。

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  さて、事実追認の形のもとで述べられている「諸事項」「諸説」は、的を得ており、まさにその通りではあるのだが、その、政権に対する「不満」や「要望(要求)」を、「声」として「行動」として現していくには・・・。

 それは、あなたたち自身が「考え」て、「声」を上げ「行動」を起こすのだよ・・・と言いたげな。これも、また、然り。

 それでも、読者は、それだけの期待だろうか? この「社説」に対して。「社説」とはそういうものだろうか?

 

 これから先は、あなたたち自身が「考えて」・・・と、突き放す前に、「説」を閉じる前に、「朝日新聞」として、「私たちはこう考える」「私たちはこう判断する」「私たちはこのように行動する」という「主張」はないのでしょうか? 

 

 「新聞社」の「社説」に、そのような事まで要求するのは「お門違い」なのでしょうか? 

 

 「朝日新聞」の「主張」が見えない。「事実追認」だけで結んでほしくない。まさか、政権に対する「忖度」ではないですよね?

 

 

 

 今朝、朝刊を一通り読んで感じたこと(浮かんできたこと)を書いてみました。この、「アホおやじ」の書いたことにどんな感想を持ちになったでしょうか? どんな風に感じられたでしょうか?

 

 

 今日も明日もゆっくりのんびりいきましょう。