さりげなく・・・

「何で?そうなの!?違うじゃん!」を綴ります。

「誤魔化せば、誤魔化すほどに・・・」。

【 今日の記事 】

1.「とても気になる、どう考えますか?」

  丁度、1年前に購入した書籍を今頃読み始めていて、

安倍晋三が〈日本〉を壊す──この国のかたちとは:山口二郎対談集

安倍晋三が〈日本〉を壊す──この国のかたちとは:山口二郎対談集

 

  P.30~P.32より抜粋。


 『僕は「べストな政治システム」というものはないと思っています、とりあえず「今より少しはましなシステム」を人はつねに求める。よりましなシステムを求めるという趨勢は、何かあっても変わらない。独裁制を選ぶ時も、人々はそれが「よりましなシステム」だと自分に言い聞かせている。だから、仮に独裁政治が一定期間続いた場合でも、どこかで必ず崩壊します。どこかで飽きて、うんざりして「よりましなもの」が欲しくなるんです。権力の内側にいて、独裁制の受益者である人間たちでさえ、自分たちに利益をもたらす仕組みに飽きるということが起きる。別に本人は「飽きた」とは思っていないし、「違う政体に移行した方がいい」とも思っていない。けれど、複数の政策選択肢のうちから、つい政体の寿命を縮めるようなものを選択してしまう。独裁政体だって、上が善政を布けば延命できるんです。けれども、そうしない。下々が苦しむような政策ばかりつい選択してしまう。国民が飢えているのにとんでもない贅沢をしてみたり、無法な行いをして国民を苦しめたりする。それは無意識のうちに彼らが滅亡を願っているからなんです。人間を政治的に衝き動かす一番大きな動員は実は「飽きる」ことなんです。飽きると、自分にとって有利な政体であっても、別物と換えようとする。
 社民党は今度の参院では比例代表区で二人取れないかもしれない。不思議ですよね。社民党って、言っていることは至極まともなんですよ。ほんとうに正しい政策で、国民がどうして自分たちへの恩恵を約束するこの政党を支持しないのかというと、「飽きた」からなんですよね。話を聴いても、ぜんぜんわくわくしない。でも、政治を語るときの語り口や、運動の仕方とかはもうあまりにも定型的で、どきどきしてこないんですよ。僕自身は福島みずほさんのことも大好きだし、社民党にはぜひ頑張ってほしいと思っているんです。でも、福島さんと対談していても、「定型」的な話になると、聞いているときの注意力が一気に低下してしまう。話しているコンテンツの正否とは関係ないんです。内容は正しいけれど、聞き飽きるということがある。やっぱり橋下さんとか安倍さんとか、新しいキャラクターが登場してきて、反知性主義と言っていいと思うけ
れど、従来だったら公人の規範を守るべき人たちが平然とそのルールもマナーも踏みにじっていると、そちらの目新しさについ目が行ってしまうんです。小泉純一郎から始まった流れだと思いますけど、僕たちはつい「目新しいもの」に惹きつけられる。でも、すべての流行と同じで、必ずこの「今、目新しいもの」も飽きられる。それは株価がよかろうと外交的な成功を収めようが関係ない。飽きる時は飽きる。膨満感がある閥値を超えると、「何か違うものない?」というふうに気持ちが動いてしまう。
 僕はこの「飽きる」という情動は、政治システムの交替の基準としてはそれなりに意味があるという気がしてきているんですよ。何か上位の、「あるべき政治」という崇高な理念があって、それに照らして今の政権や政策の当否を論じるのではなく、「言ってることはよく分からないいんだけど、なんか惹かれる」とか「言っていることは正しいと思うけど、なんか飽きた」というような基準で、結局僕たち有権者は為政者を選んでいる。理念の正否よりも「飽きたか、飽きないか」の方が明らかに市民の政治的選択に対する影響力は大きい。

 安倍政治は早晩飽きられる。これは避けられない。これまで飽きられなかった政治家なんて。一人もいなかったわけですから。そろそろ「もう飽きたよ」というかたちの劇的な反動が来ると思います。僕の周りの人には、テレビのニュースを見ていて安倍の顔が出てくると瞬間的に消すという人がいます。それは個別的な政策に反対というレベルのことじゃないんです。生理的にうんざりしている。本当だったら、安倍政治を批判しようと思ったら、きちんと国会の答弁も全部聴いて、施政方針演説も全部聞いて、論のどこに瑕疵があるのかとが調べないといけないんだけど、もうそれができない、厭で。これは政治を語る態度としては、ほんとうはよくないことなんです。でも、テレビに安倍さんの顔が映ると反射的にチャンネルを替えてしまうという反応の方が、ある意味ではより「政治的」なのではないかという気がするんです。』

 

 昨日の朝日新聞夕刊「素粒子」欄に、

 『財務省の防波堤は崩れてきたように見え。』

 『森友学園への特例で穴があき。』

 『堤防の向こうに首相夫人の姿が浮かぶ。』

 

  今日の「素粒子」欄には、

 『安倍晋三記念小学校と書いてあったか。財務省が出した黒塗りの書類。』

 『「ずぶずぶ」で品が悪けりゃ癒着と言おう。』

 『党総裁としての考えは読売新聞を熟読せよ。特定の新聞を広報誌とする首相。』

 『世論を分断してでも改憲を目指す。』

 

 そろそろ「潮時」かもしれない。昨日の衆議院予算委員会でも、よせばいいのに「逆切れしたように興奮して」答弁する場面も散見され・・・。首相も財務省も「言い訳をすればするほど自分の首を絞めているように感じ取れるのは、浅学爺の思い過ごし・・・かな?

  今日午後からの「参議院予算委員会」での答弁も酷かった。(冒頭の部分しか聞けなかったが・・・)

  今日のニュースサイトの記事です。

www.msn.com

 

 「愛読書」の「世界6月号」の、

世界 2017年 06 月号 [雑誌]

世界 2017年 06 月号 [雑誌]

 

  前鳥取県知事、元総務大臣早稲田大学教授 「片山義博」氏の「日本を診る」コラムで『「籠池劇場」には、合点がいかないことだらけ』と題して、首相・政府・財務省側の対応に疑問を呈している。加えて、TVなどで有名な「安倍ヨイショ評論家」への苦言も。

 時を見て、全文を載せてみたいと思う。

  

2.「言いたいこと(1.と関連あり)」

  どう贔屓目に見ても、「安倍」側に「勝ち目」はないでしょう。

 「あ~言えば」、「こんなのありますが・・・」と、不利な事柄を出されて、逃げ道は狭まる一方のようで・・・。

 引き際(退き際)が肝心です。大けがしないうちに・・・。

 証人喚問の時、傍で指図していた弁護士さんは、相当に「有能」な方のようです。某ラジオ番組で話されていました。

 

3.「写真」

 今日はお天気悪くて、今にも「雨」が降り出しそうですが、写真撮りに行きました。

 我が家の庭。

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 「ミニ薔薇」が次々と咲きだして、「アジサイ」が「花」を準備しています。

 

 「厚木基地」へ行ってみました。変わり映えしないので「ヒコーキ」撮りは途中で止めて「花」を撮ってみました。

 「C-130」

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 「P-3C

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 「FA-18」

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 カメラ:PENTAX K200D
 レンズ:smc PENTAX-DA 1:3.5-6.3 18-250mm ED AL [IF]
     + KENKO MC UV SL-39
 撮影地:横浜市泉区 2017/05/09 (我が家)

 

 カメラ:PENTAX K20D
 レンズ:TAMRON AF ASPHERICAL XR LD [IF] 28-300mm 1:3.5-6.3 MACRO
     + KENKO MC UV SL-39
     + KENKO Pz-AF 1.5X TELEPULS SHQ
 撮影地:神奈川県大和市 2017/05/09 (厚木基地

 

 

4.「ボランティア活動」

 今日もボランティア活動はお休みでした。

 

5.「終わりに」

 読売新聞はいつから自民党の広報機関に成り下がったのでしょうか? あっ!昔からか。

 

 今日も明日もゆっくりのんびりいきましょう。