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「頑張れ!」

日記 雑記 ボランティア活動 その他

 

 長谷川豊氏のブログの事。

 

 幾つか読ませていただくとその「真意」が感じ取れますが、心ない読者が「炎上」させるほどの事でもないと思っていたことが間違いではないと確信しています。

 

 只、書き方には誤解を招くような乱暴な語句が並んでいましたので、そこは、少し、反省されたほうが良いとは思います。

 

 いずれにしても、無理せずに持論を維持されることを願っています。人それぞれに物事に対する考え方や向き合い方は異なりますので・・・。

 

 私は福祉車両の運転ボランティア活動をやっていますので、類似の事柄は、福祉車両の利用者さんから聞かされることがあります。

 

 

 

 さて、過日購入した書籍、

反東京オリンピック宣言

反東京オリンピック宣言

 

 

 書籍の題名の通りで、2020年東京オリンピック開催に反対する方々のご意見や持論を集めたものですから、間違っても「・・・賛成」の文章はありませんが、以下のような文節がありました。(ほんの一部です。)

 

P.88~

・・・・・

 では、東京である。オリンピック東京招致は、イスタンブール有利の下馬評の中で実現度が薄いように見られていたが、一転、東京も有力な選択肢として浮上したものの、選出直前に、国際的にも問題視され始めた福島第一原発の汚染水流出によって、あらためて三・一一以降の東京での開催をIOCがのぞまないではないのか、という観測も一部ではあった。 

 しかし、結果はこのようなものである。安倍首相はブエノスアイレスで全世界に向かって福島第一原発の事故が「完全にコントロールのもとにある」という、誰も信じるもののいない、翌日には東電によってくつがえされる程度の仕掛けの大嘘をついた。このような嘘をつかなくとも、招致の成否に大きな影響を及ぼしたとも思えないし、本来、公人が恐怖を感じるべきは、このようなきわめて重大な問題において、しかも世界に対して無責任な嘘をつくことであるはずだ。しかし、そうしたジレンマのようなものは安倍首相からは、微塵も感じことができない。このこと自体、驚くべき事態であり、また、大メディアがほとんど問題視しなかったことも驚くべき事態である。多くの人が嘆くように、それがメディアだけでなくこの社会そのものの末期的事態のしるしであることはまちがない。しかし、このことから見えてくるのは、公人の無責任な「虚言」というものに対する、この社会、とりわけ日本社会の感覚の変化である。庶民の小さな「欺瞞」には、あるいは、特定の政治家が福島についてこぼした「真実」には、ときに、よってたかって血祭りにあげるこの社会の奇妙な「寛容」である。ここまで露骨に発言をひるがえし、あきらかに嘘をつき、それにひらきなおって、なお、立場がゆるぎもしない国や地方の首長がいる、という現象に筆者はこれまでおぼえがない。これはなにかの社会のあり方の変容をしるしているだろう。ただし、ここではそれを深く追及している余裕はない。この原稿の関連するかぎりでまず一点いうならば、この社会の死命をも決しうる問題についての「虚言」が可能であるのは、原子力体制そのものが、戦争とおなじく「虚偽」を必須としており、それなしには維持できない、というハードな条件があるからだ。それが根底から揺らいでいるわけだが、にもかかわらずそれを維持しようとすれば、虚偽が露骨に浮上してくるのは当然である。そして、いま進行しているプロセスと存在しているようにみえる秩序に「波風立てない」ことが「現実」や「真実」よりもはるかに優先させられるという、日本ではもはやあらゆる局面にほとんど例外なく浸透しきったミクロな心性である。ここまで破綻しながらも、破局をくりのべながら根強く存続す原子力体制は三・一一以降の、あるいはすこし以前からの、「偉いひと」が平気でくりだすこの社会の奇妙な「虚偽」への寛容と、それを可能にする心性なしにはありえない。

 国際舞台での大見得を、ありえない想定だが仮にどれほどお人好しであるにしても、IOCが信じるはずもない。安倍首相の「完全なコントロール」発言は、IOCにむけて、暗黙に字義以上のメッセージを発していたようにも思う。つまり、その発言で問題になっているのは、現実に福島第一原発がコントロールされているということではなく、「日本の状況」が完全にコントロールされているということ、そして、これからもコントロールするという約束である。つまり、福島第一原発が本当にコントロールされていようが、汚染水問題がどれほど深刻であろうが、アスリートにどのような影響があろうが、それはIOCにとってはたいした問題ではない。最大の心配は、そうした問題が、東京を動揺させてしまい、大事なイヴェントを巻き込んでしまうことである。

 しかし、それはだいじょうぶである。これだけの事故に遭いながらも、原子力体制を維持し、その存続を公言し、さらには輸出まで精力的に行う政党を第一党に祭り上げ、その政策の急先鋒である首相をいだく、この社会である。メディア、労働組合、企業、知識人、都市市民、そして社会運動すべてが「完全にコントロール」されている、という自負にも説得力があったはずだ。

・・・・・

 

 いかがでしょう? 偏見に満ちた誤解文だ・・・と反感を覚える方、その通りだと共感される方、そんなことどうでもいいんじゃない・・・と興味を示さない方などなど様々でしょうが、オリンピックや福島第一原発事故などに絡めて、私たちの住む日本の「今を」切り出しているという文章として捉えたらどうでしょう? 本文にもある通り、完全にコントロールされているのは「私たちの日本の社会、私たち」です。

 

 

 

 明日もゆっくりのんびりいきましょう。

 

 今日は久しぶりに「雨」を見ない一日でした。明日はどうだろう?