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「違憲訴訟」へ・・・。

 

 今日は、短めにしましょう。誌面からの転記も少し重荷になっているので・・・。

 

 月刊誌「世界7月号」より、

 

 田村洋三氏 寄稿

 「新安保法制法は違憲である―――司法に生きるものとして看過できない」

 

 

 ・・・・・ 太平洋戦争は、軍部の独裁に近い状態で無謀な戦争に突入し、多くの国民・市民はもちろん、他国の人たちにも甚大な被害を与えた。現憲法はその反省の上に作られたものである。戦前も天皇主権の下ではあったが、立憲民主主義的側面もあったともいわれる。それが軍部独裁になっていく過程には、どこか曲がり角があったはずである。その時に、多数の国民・市民が声をあげていれば、日本の歴史も違ったものとなったとも考えられる。

 現政権が、多数の学者や法律家をはじめ、多くの国民・市民の反対の声を無視し、多数の力で憲法改正手続きを潜脱して解釈で憲法を変えてしまったことは、日本が再び戦争に向かう曲がり角のように思えてならない。憲法は権力者を縛るために存在する。それが近代国家の憲法の意義である。時の権力者が憲法を無視して、やりたいことをやるのでは、戦前と同じになってしまう。先日亡くなられた野坂昭如氏も、遺稿で「この国に戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」と記しているそうである。この時期に声を上げないことは、後に大きな禍根を残すことになると考えている。

 

 ・・・・・ 多くの市民が新安保法制法の廃止を求めており、二〇〇〇万人署名や各地の集会・デモ等、廃止に向けての市民運動が大きく広がっている。

 今回の違憲訴訟は、裁判所の違憲判断を求めるものであることはもちろんであるが、多くの人々の新安保法制法が違憲であるとの声を受けて提訴したものであり、この提訴がこれら市民運動の更なる結集軸の一つとなるとも考えている。新安保法制法に反対の国民・市民および弁護士の皆さんは、ぜひ原告あるいは代理人として参加していただきたい。

 新安保法制法により集団的自衛権の行使等が現実化してからでは遅い。既成事実が積み重ねられてからでは遅い。自衛隊員や国民・市民が死んでからでは遅い。

 今こそ、憲法九九条により憲法を尊重し、擁護する義務を有する裁判所が、憲法七六条三項に従って、その良心に従い独立を守り、集団的自衛権の行使等による被害の発生する前に違憲立法審査権を行使して、司法的判断を示すことが求められている。・・・・・

 

 

 安倍内閣が(安倍首相が)「解釈変更」だけで進めてしまった「新安保法制法」が司法の判断を受ける事態に発展してきた。

 当然のことと言ってしまえばそれまでだが、果たして、転記した本文にもある通り、「裁判所」が、「司法的判断」をするだろうか?

 

 選挙制度一票の格差)についても、原発再稼働差し止め訴訟についても、政権への「心遣い」が感じられることがある。裁判所らしからぬことが・・・。

 

 

 明日は水曜日。恒例の養護学校へ通う障がい児の介助ボランティア活動の日だが、先程連絡があって、通院(定期の)の為登校は中止とのこと。従って、ボランティア活動も中止。明日はゆっくりできそうだ。

 

 

 明日もゆっくりのんびりいきましょう。